【体験談】「人生いいことない……」と思っていた私が、ささやかな日常に幸せを感じられるようになるまで
最近「人生いいことないな」と思ってしまいます。
どうしたら幸せを感じられるのでしょうか?
そう思う経験ありました。しんどいですよね……。
今回は、幸せを感じるヒントを体験談としてシェアします
頑張るほどに、幸せから遠ざかった過去
「幸せ=○○」と決めつけていた
かつての私は「仕事の成功」「結婚する」などの「分かりやすい幸せ」を追い求めて、あれやこれや奮闘していました。
「幸せ=○○」と決めつけて、自分が決めた幸せ以外は見向きもしません。
「○○」に入るものを手に入れられたら、きっと幸せになれると信じ、それを得るために出来ることは何でもするほど必死だったのです。
「幸せ=○○」を追い求めて頑張っていたときが、一番精神的にしんどかったと思います。
「幸せ=○○」つまり、「○○」が手に入っていない状態は不幸だと感じていました……。
目的を「幸せ=○○」の「幸せ」ではなく「〇〇」にすり替えていた
ひたむきに生きている感じはあったのですが、本質が見えなくなってしまい、いつしか自分の「幸せ」ではなく「○○」を得ることが目的にすり替わっていました。
「○○」を得ることが幸せなのか聞かれても答えられない。
そんな状態になっても、当時の私は自分が進んでいる方向のズレに気づけなかったのです。
「幸せってどんな状態だろう?」と本質に立ち返る余裕がなかったのですね。
いつしか幸せとは真逆の方向に進むようになっていった
当時の私は「幸せ=○○」と決めつけ、決めたものに縛られ身動き取れなくなっていました。
人はさまざまな経験をし、情報に触れ、変わっていきます。変わることが当然です。
当時の私は、人は変わりゆくものという前提を無視してしまっていたように思います。
また、何かを手に入れれば幸せになれる、それが不足しているから自分は満たされていないと信じ、さまざまなことを手に入れるためにもがいていました。
手に入れられても幸せを感じなかった
「○○を手に入れないと、幸せになれない。だからあと少し頑張って……」
そう自分に言い聞かせて辛い中、頑張って、ようやく手に入れることができました。
ですが、望んでいたことが手に入った瞬間、
「あれ?自分何やってるんだっけ」と虚無感に襲われました。
そのまま、燃え尽きてしまったのです。
燃え尽きの状態は、幸せとはかけ離れた状態でした。
たとえ、何かを手に入れても、幸せを感じられる保証はないことを痛感しました。
幸せは日常に溢れていることに気づく
自分自身の内面に目を向ける
欲しいものを手に入れても幸せになれなかった私は、ようやく自分自身の内面に目が向き始めました。
「幸せを感じられない原因は、私自身にあるのではないか……?」
「そもそも、私は何に幸せを感じるのか?」
「今、幸せを感じることは本当にないのか?」
そうやって、自分の内面と自分の周りを丁寧に見ていきました。
日常の幸せに気づいていく
日常を紐解くと、たくさんの幸せが見えてきました。
例えば、とある朝のこと……
バタバタの中で走り続けていましたが、この日はようやく一息つける日でした。
朝早くの静かなカフェで珈琲をいただいたんですね。
いつも会う店員さんと「おはようございます」からの短い会話。
店内に流れるゆったりめのJazzに耳を傾けて、コクッと眠りについてしまいそうな安心感を感じました。
ただの日常のワンシーン。だけど、間違いなく幸せでした。
休息、珈琲のおいしさ、人の優しさ、空間の心地よさ、些細なことなのかもしれませんが、あたたかい気持ちで溢れました。
今まで、私はこんなに私を癒してくれ、元気を与えてくれるものに気づけなかったんですね……。
本質を見失わないように
幸せを求め、一生懸命に手に入れる努力は重要です。
ですが「自分にとっての幸せ」はなにか、そして「その幸せを感じられる自分であるか」が頑張る前提で必須でした。
そして、大きな幸せを追い求めることに夢中になりすぎてしまうと、日常に溢れる数々の幸せを感じられなくなる可能性もあります。
それは、もったいなさすぎます。
幸せを願うのは当然のこと。努力をするのも素敵なこと。
ただ、せっかく頑張っても頑張る先に自分が求めるものがないのは切なすぎます。
本質を見失わないように。それが、すごく大切なことだと学びました。
ちなみに、私は自分の幸せを改めて考えたときに、以前求めていたものより重要なことがあると気づき、方向転換できました。
周囲が定義する「幸せ」を意識しすぎていた自分に気づけました。